山梨県南巨摩郡早川町。南アルプスの山々に抱かれた自然豊かな地域に、野鳥や動物、昆虫、植物との出会いを楽しめる「南アルプス邑野鳥公園」があります。
「野鳥公園」という名前から、野鳥に詳しい人や、本格的なバードウォッチングを楽しむ人のための施設を想像する方もいるかもしれません。
しかし、南アルプス邑野鳥公園で体験できるのは、双眼鏡を使って鳥の姿を探すことだけではありません。
森の様々な音に耳を澄ませ、各所に残された動物の痕跡を探し、季節ごとに変わる植物や昆虫に目を向けることで、たくさんの生きものたちと出会うことが出来ます。さらに園内に宿泊すれば、日が沈んだ後の昼間とは異なる生きものたちとの出会いや鳥の声とともに一日が始まる早朝の森も体験できます。
ここは、自然について詳しい人だけが楽しむための場所ではありません。
「鳥の名前は分からないけれど、自然の中を歩いてみたい」
「子どもに本物の森や生きものを見せてあげたい」
そんな人にも、自然を観察する楽しさや、森の中で過ごす心地よさを教えてくれる場所です。
今回は、森に暮らす生きものたちの時間に少しだけお邪魔するような、南アルプス邑野鳥公園の魅力をご紹介します。
ヤマセミ橋を渡った先に広がる、生きものたちが主役の森
南アルプス邑野鳥公園での時間は、清流・早川に架かる「ヤマセミ橋」を渡るところから始まります。
車を対岸の専用駐車場に停め、橋を歩いて園内へ向かうと、少しずつ周囲の音が変わっていきます。
道路を走る車の音や、日常の中で聞き慣れた音が遠ざかり、代わりに近づいてくるのは、川の流れ、木々の葉が揺れる音、そして森の奥から聞こえてくる鳥の声です。
橋を渡る時間は、決して長いものではありません。
それでも、川の上を歩きながら森へ向かうその時間は、日常から自然の中へ気持ちを切り替えるための、小さな入口のように感じられます。
この場所で主役となるのは、森の中で暮らしている野鳥や動物、昆虫、植物などのたくさんの生きもの達です。
公園とその周辺では、ヤマセミやカワセミ、クマタカ、オオルリ、キビタキなど、120種以上の野鳥が確認されています。
さらに、ニホンリスやムササビ、モリアオガエル、オオムラサキ、ミヤマクワガタ、オニヤンマなど、鳥以外の生きものも数多く生息しています。
もちろん、動物園のように、決まった場所へ行けば必ず生きものが待っているわけではありません。
野鳥や動物たちは人に見られるためではなく、厳しい自然の中で必死に暮らしているだけです。
だからこそ出会うことが出来た瞬間には、思わず誰かに伝えたくなるような喜びがあります。
用意されたものを見せてもらうのではなく、自分の目と耳を使い生きものに時間と場所を合わせて気配を頼りに探していく。
南アルプス邑野鳥公園には、自然の中でしか味わえない発見の楽しさがあります。

鳥の姿が見えないときも、森にはたくさんの物語が残されている
野鳥公園を歩くときには、つい木の上や空ばかりを見てしまうかもしれません。
しかし、森の魅力は、鳥の姿を見つけることだけではありません。
地面に落ちている木の実、土の上に残された小さな足跡、何かにかじられた葉、木の幹に開いた穴。普段であれば気に留めずに通り過ぎてしまうものも、森の中では、生きものがそこで暮らしていた証になります。
たとえ鳥や動物の姿が見えない日でも、森から何も発見できないわけではありません。
割れた木の実の殻が落ちていれば、少し前までリスやネズミが食事をしていたのかもしれません。
木の幹に残された小さな穴や傷にも、鳥や昆虫が関係していることがあります。
湿った地面に足跡が残されていれば、人が訪れる前に、何らかの動物がそこを通った可能性があります。
こうした自然のサインを一つずつ探していると、それまで何となく眺めていた森の見え方が変わっていきます。
最初は同じように見えていた木々にも、それぞれ異なる形や特徴があります。
葉の大きさや形、樹皮の模様、枝の広がり方、花や実のつき方。目を向ける場所が増えるほど、森の中に隠れていた情報が少しずつ見えるようになります。
また、南アルプス邑野鳥公園では、季節によって出会える自然も変化します。
春には花が咲き、新緑の中から鳥の声が聞こえてきます。夏には昆虫やカエルが姿を見せ、秋には木の実や紅葉が森を彩ります。冬になると木々の葉が落ち、枝の間を飛ぶ野鳥の姿を見つけやすくなることもあります。
同じ道を歩いても、訪れる季節が変われば、目に入るものも聞こえる音も変わっていく。
一度訪れただけでは、この森のすべてを見終えることはできません。
季節を変えて再び歩けば、前回は気づかなかった鳥の声や植物、生きものの痕跡に出会えるかもしれません。
南アルプス邑野鳥公園は、訪れるたびに新しい森の表情を見せてくれる場所です。

専門スタッフと森を歩けば、自然を見る目が少しずつ変わっていく
自然観察に興味はあっても、「鳥の名前が分からない」「どこを見ればよいのか分からない」と感じる人は少なくありません。
特に初めてバードウォッチングを体験する場合、鳥の鳴き声が聞こえても、どの方向を探せばよいのか分からないことがあります。
南アルプス邑野鳥公園には、生物や自然環境に詳しいスタッフがいるため、知識がない状態からでも自然観察を楽しめます。
鳥の姿を見つけたときには、種類や見た目の特徴だけでなく、鳴き声や行動、暮らしている環境についても教えてもらえます。
また、地面に残された動物の足跡、食べ跡、木々の変化など、自分たちだけでは見過ごしてしまいそうなものも、スタッフの説明によって意味のある発見へと変わります。
例えば、何気なく落ちている木の実も、どの生きものが、どのように食べたかによって残る跡が異なることがあります。
木の幹に開いている穴にも、鳥が開けたものや、昆虫が関係しているものなど、それぞれ異なる理由があります。
そうした説明を聞いた後に改めて森を見渡すと、それまで単なる景色に見えていた場所に、野鳥や動物たちの暮らしが浮かび上がってきます。
園内では、季節の自然を紹介するネイチャーガイドツアーも行われています。
春の花や野鳥、梅雨の生きもの、夏の昆虫、秋の紅葉やムササビ、冬芽や冬の野鳥、動物が残したフィールドサインなど、その時期だからこそ楽しめる自然がテーマになります。
特定の一種類だけを探すのではなく、その日の森で見つけられるさまざまな自然を観察できることが特徴です。
双眼鏡の無料貸し出しも行われているため、本格的な観察道具を持っていない人でも参加しやすくなっています。
自然について詳しい人だけが楽しむ場所ではなく、分からないことを教えてもらいながら、自然を見る目を育てていく場所。
南アルプス邑野鳥公園は、これまで自然観察をしたことがない人にとっても、新しい楽しみを見つけるきっかけになるでしょう。
歩く、待つ、窓から眺める。自分のペースで楽しめる野鳥観察
野鳥を観察する方法は、森の中を長時間歩き続けることだけではありません。
南アルプス邑野鳥公園には、森を歩く自然観察路だけでなく、室内から野鳥を探せる観察ルームや、池の近くで静かに鳥を待てる観察施設が整えられています。
管理棟内にある野鳥観察ルームでは、窓の外に広がる自然を眺めながら、訪れる鳥を観察できます。
屋外で長時間立ったまま待つ必要がないため、小さな子どもを連れた家族や、体力に不安のある人、バードウォッチングに慣れていない人にも利用しやすい環境です。
天候が変わりやすい日や気温の低い時期にも、室内で落ち着いて鳥の姿を待つことができます。
オシドリ池の周辺には、小さな野鳥観察棟があります。
池を訪れる水鳥や、水辺の周辺で活動する野鳥を、静かな環境の中で観察できます。
野鳥観察では、大きな声を出したり、急に動いたりせず、その場所の空気に溶け込むように過ごすことも大切です。
すぐに鳥が現れなかったとしても、川の音や木々の揺れを眺めながら待っていると、普段よりも時間がゆっくりと流れているように感じられます。
自然観察路を歩くときには、鳥の姿だけでなく、鳴き声が聞こえる方向を探したり、枝の間で動く小さな影を目で追ったりしながら進みます。
姿が見えなくても、声が聞こえた場所を覚えておく。少し離れた場所から、しばらく静かに様子を見る。
そうした「待つ時間」も含めて、野鳥観察の魅力です。
自分の足で歩きながら探す時間。池のそばでじっくり待つ時間。室内から窓の向こうを眺める時間。
体力や年齢、その日の天候に合わせて、自分に合った方法で自然と向き合えることも、南アルプス邑野鳥公園の過ごしやすさにつながっています。

日が沈んだ後、森は昼間とは違う時間を動き始める
昼間の森では、鳥の声や川の流れ、木々の緑が強く印象に残ります。
しかし、日が沈むと、森の雰囲気は大きく変わります。
日の登っている時間では姿を見せなった生きもの達が活動を始め、反対に昼間にいた生きもの達は息をひそめます。
南アルプス邑野鳥公園では、季節に応じて、ナイトハイクやムササビウォッチング、コウモリやホタルの観察、星空観察などの夜間プログラムが行われています。
ムササビを観察するプログラムでは、巣から出てきて空を滑空して森へ消えていくムササビの1日の始まりを観察することが出来ます。
必ず姿を見られるとは限りません。
それでも、暗い森の中で生きものが現れる瞬間を待つ時間そのものが、日常ではなかなか味わえない体験になります。
また、街中の明かりから離れた環境で夜空を見上げれば、星だけでなく、山の輪郭や木々の影、夜の空気の冷たさまで含めて、自然の中にいることを実感できます。
夜の森には、昼間とは異なる静けさと、少しの緊張感があります。
専門スタッフの案内を受けながら歩くことで、暗闇をただ怖がるのではなく、その中で活動している生きものや、森の変化に目を向けられます。
南アルプス邑野鳥公園では、一日の中でも少しずつ変化していく、森のさまざまな表情を体験できます。
鳥の声で始まる朝。キャビンやキャンプで森の中に泊まる
南アルプス邑野鳥公園の魅力をより深く味わうなら、園内での宿泊も選択肢の一つです。
園内には、定員5名の1棟貸しキャビンが4棟あり、森に囲まれた環境の中でゆっくりと滞在できます。
キャビンには、エアコンや冷蔵庫、ガスコンロ、ガス炊飯器、キッチン、洋式トイレ、シャワールーム、寝具などが備えられています。
テントでの宿泊に慣れていない人や、小さな子どもと一緒に自然を楽しみたい家族でも、利用を検討しやすい設備です。
キャビンに泊まる魅力は、手軽に森に滞在できることだけではありません。
朝、目を覚まして外へ出れば、そこはすでに野鳥公園の森です。
窓の外や森の中から聞こえてくる鳥や生きもの達の声を合図に、そのまま朝の散策を始められます。
夜の森を体験した後にキャビンへ戻り、翌朝には再び違う表情の森を歩く。
宿泊することで、日帰りでは体験しにくい夕方、夜、早朝の自然まで楽しめます。
また、園内の芝生広場は、キャンプ利用時にはフリーサイトとして使われています。
一般的なオートキャンプ場のように車を横付けし、夜遅くまでにぎやかに過ごす場所ではありません。
野鳥や森の気配を身近に感じながら、静かに自然と向き合うことを大切にしたキャンプサイトです。
森が暗くなる時間に合わせて静かに過ごし、朝になれば鳥の声とともに目を覚ます。
人の生活時間を、少しだけ自然のリズムへ近づけていくような滞在を楽しめます。
一方で、キャンプ道具のレンタルは基本的に行われていないため、必要な装備は自分たちで準備する必要があります。
また、鳥獣保護区内にある施設として、車の乗り入れ、音楽機器の使用、花火、ペットの同伴、火の使用などについてルールが設けられています。
便利さやにぎやかさを求めるのではなく、静かな環境の中で森と向き合いたい人にこそ適した宿泊場所です。
人が自然を楽しむために、まず生きものたちの暮らしを大切にする
南アルプス邑野鳥公園で大切にされているのが、**「自然・生きものファースト」**という考え方です。
自然公園やキャンプ場というと、人が快適に楽しめるように環境を整えることが優先される場合もあります。
しかし、この公園では、人の楽しみだけではなく、もともと森の中で暮らしている野鳥や動物、昆虫、植物の環境を守ることが重視されています。
人によっては、一般的なキャンプ場と比べて制限が多いと感じるかもしれません。
しかし、そのルールがあるからこそ、森の静かな環境が守られ、野鳥や動物たちがこれまでと変わらず暮らし続けることができます。
人の都合に合わせて自然を変えるのではなく、人の側が森の時間やルールに合わせて過ごす。
それは、自然の中で遊ぶだけでは得られない、大切な体験でもあります。
鳥の姿を見つけても、必要以上に近づかない。
動物の痕跡を見つけても、その場所を荒らさない。
昆虫や植物を観察しても、むやみに捕まえたり、持ち帰ったりしない。
生きものたちの暮らしを尊重しながら観察することで、自然は人が一方的に消費するものではなく、共に寄り添って暮らすものだと気づかされます。
森の中で静かに待つこと。
思いどおりにならない自然を受け入れること。
生きものが暮らしている環境に、自分たちがお邪魔していると知ること。
自然との正しい距離感や向き合い方を、体験を通して学べる場所です。

森の中で見つかるのは、生きものだけではない
南アルプス邑野鳥公園を訪れたからといって、必ず目的の野鳥や動物に出会えるとは限りません。
自然の中で暮らす生きものたちは、人の予定に合わせて姿を見せてくれるわけではないからです。
生きもの達にとってストレスや負担にならないように、生きもの毎に合わせた方法で観察することで初めてその姿を見せてくれます。
公園のスタッフは、そのサポートをしてくれます。生態学や動物行動学に精通しているため、どうすれば生きもの達に出会えるのかを丁寧に教えてくれます。基本的な生態だけでなく、生きものの視点になり生きものの気持ちや行動を想像し、今ならどこに現れるかを予測します。
南アルプス邑野鳥公園から持ち帰れるのは、写真やクラフト作品だけではありません。
そうした体験を通して、自然の中に隠れている小さな変化や、生きものの気配や気持ちを感じる新しい視点も持ち帰ることができます。
ヤマセミ橋を渡った先で始まるのは、野鳥や生きものを探す時間です。
そして公園を後にするときには、訪れる前よりも少しだけ、自然を見る目が変わっているのではないでしょうか。