量子技術の「翻訳者」として市場を切り拓く
東京・渋谷のオフィスで藤崎健一郎氏が語る表情は、自信に満ちていた。株式会社QuantumBridgeは2021年の創業以来、量子コンピューティング技術を既存のクラウド環境で活用できる独自のミドルウェア「QuantumLink」を開発。量子アニーリングマシンやゲート型量子コンピュータへのアクセスを抽象化し、従来のプログラミング言語で量子アルゎリズムを記述できる環境を提供している。
「量子コンピュータは確かに革新的ですが、その活用には深い物理学の知識と特殊なプログラミングスキルが必要でした。私たちは量子ネイティブではないエンジニアでも量子技術の恩恵を受けられる環境を作ることに注力しています」と藤崎氏は語る。
同社のプラットフォームは現在、製薬、金融、物流など15業界・58社で採用されている。特に組み合わせ最適化問題を扱う物流業界では、配送ルート最適化において従来手法と比較して計算時間を87%削減した実績もある。
東大発ベンチャーから独立路線へ
藤崎氏のキャリアは、東京大学大学院で量子情報理論を専攻したことに始まる。博士課程修了後は大手IT企業の研究所で量子アルゴリズムの研究に従事していたが、「研究成果が社会実装されるまでに10年以上かかる」という現実に frustration を感じていたという。
「論文を書くことも重要ですが、私は技術を使える形にして世の中に届けたかった。量子コンピュータが『いつか使える技術』ではなく『今使える技術』になる瞬間を作りたかったんです」
創業時のメンバーは藤崎氏を含めわずか4名。初期資金はシードラウンドで調達した2億円だった。当時、量子コンピューティング市場はまだ黎明期で、投資家からは「本当にビジネスになるのか」という懐疑的な声も多かったという。
しかし藤崎氏は確信していた。「IBMやGoogleが量子コンピュータのハードウェア開発を進める中、必ずソフトウェアレイヤーでのイノベーションが必要になる。それも、研究者向けではなくビジネスユーザー向けの抽象化技術です」
技術の本質は「量子と古典のハイブリッド」
QuantumBridgeの技術的優位性は、量子コンピュータと古典コンピュータを最適に組み合わせるハイブリッドアーキテクチャにある。「VQE(変分量子固有値ソルバー)」や「QAOA(量子近似最適化アルゴリズム)」といった量子アルゴリズムを、古典コンピュータによる前処理・後処理と組み合わせることで、現在のNISQ(Noisy Intermediate-Scale Quantum)時代の量子デバイスでも実用的な性能を引き出している。
「現在の量子コンピュータは、量子ビット数が50〜100程度で、エラー率も1%前後と高い。完全なエラー訂正が実現するのは2030年代と言われています。しかし私たちのミドルウェアを使えば、今あるノイジーなデバイスでも十分に価値を生み出せます」
実際、同社が開発した誤り緩和技術により、量子回路の実行精度は平均で32%向上している。また、問題を量子コンピュータに適した形式に自動変換する「問題分解エンジン」も独自技術だ。
量子コンピュータは万能ではありません。古典コンピュータが得意な領域と量子が得意な領域を見極め、適切に組み合わせることが重要です。私たちは技術の『翻訳者』であり『オーケストレーター』なんです。
藤崎健一郎氏
グローバル展開と次なる挑戦
2023年、QuantumBridgeはシリーズBで15億円を調達し、米国シリコンバレーに研究開発拠点を開設した。すでにNASDAQ上場企業2社との協業プロジェクトが進行中で、2024年度の海外売上比率は40%に達する見込みだ。
「欧米では量子コンピューティングへの投資が日本の10倍以上の規模です。技術力では日本企業も決して劣っていませんが、市場の成熟度が違う。グローバルで戦うには、現地でのプレゼンスが不可欠です」
藤崎氏が次に見据えるのは、量子機械学習の領域だ。古典的な機械学習モデルの学習プロセスに量子コンピュータを活用することで、特定の問題において指数関数的な高速化が期待できる。「2025年中にはQuantumLink ML版をリリースします。これはゲームチェンジャーになるはずです」
従業員数は創業時の4名から現在は68名に増加。そのうち博士号取得者は18名と、極めて高度な専門人材が集まっている。「優秀な人材の獲得が最大の課題です。量子とソフトウェア工学の両方に精通したエンジニアは世界的に希少ですから」
最後に、藤崎氏は日本のIT業界全体への思いを語った。「日本は半導体で世界をリードしていた時代がありました。量子コンピューティングは、再び技術立国として存在感を示せる数少ないチャンスです。私たちのようなスタートアップが先陣を切って、日本発の技術を世界標準にしていきたい」
量子技術の民主化――その壮大なビジョンに向けて、QuantumBridgeの挑戦は続く。